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住職のお話し

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朝のお勤め


迷いの岸から悟りの岸へ渡る方法

お墓参りの時、自然にこれらを行っているんですよ!

あの震災の日から三年が経ちました。岩手は、まだ寒い日が続き山やお墓にも 雪が残っている地区もあると思います。

しかし、復興に向けてみなさまの努力の一歩一歩は、着実に前へと進み、 季節は、厳しい長い冬を乗り越えて、春は、少しずつ少しずつ近づいております。

今日 彼岸 菩提の種を まく日かな と詠まれます。

仏さまがお示しになった六つの徳目 (布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・ 精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ))を行う一週間です。

お墓参りすると・・・

一、お水は布施です。

水はすべてに平等に行きわたります、好き嫌いなく。
優しい気持ちで他の人の力になって、あなたにできることを何かやってあげましょう。

二、お線香は持戒です。

身と心をお清めするはたらきがあります。

仏さまの教えやきまり、日常のルールを守ることに通じ、お互いが尊重し合うことです。

三、お花は忍辱です。

冬の厳しい寒さに耐えて、春に花を開きます。無理することはありません。
少しがまんすること、許してあげることを教えてくれます。

四、お団子は精進です。

一生懸命に努力することです。心をこめてお墓をお掃除して、亡き人を偲びお供物・お団子をお供えします。

五、合掌は禅定です。

心静に手を合わせ、亡き人を偲び、心の中でその方とお話ししてください。
そして自分自身を静に振り返ります。

六、ローソクは智慧です。

迷いの暗闇を照らす仏さまの慈悲の光です。
はからいを離れた、きれいな判断・ものの観法をすることを教えてくれます。

以上六つの徳目は、私たちが実行してはじめて自分のためになり、 他に対してもためになる仏さまの教えの一つ一つです。

きれいな心で、その一つを行う時には、他に五つのすべてが含まれるといわれています。

私たちは、小さい頃から知らず知らずの間に、お祖父さんお祖母さんやお父さんお母さんの 後ろ姿を見て、お墓参りをしてきました。

さあ、みなさん、お孫さんや子どもさんといっしょにお墓参りをしてください。
そして、どうしてお水をかけるのか?お花はどのような意味があるのか?教えてあげてください。

さらに、今は亡き人のお話、どのような方だったか?おしえてください、お伝えしてください。
きっと喜んで聞いてくれますよ。
お孫さんや子どもさんは、あなたがお墓の前でおしえてくれた家族の大事なこと・大切なことを 思い出として、決して忘れることはないでしょう。


高校の先生からの1本の電話

ある高校の先生から一本の電話が入りました。「卒業を控えて、今、大事なときに不祥事を 起こした二人の生徒がいます。相談にのってい頂きたい。処分することは簡単ですが、今まで 頑張ってきた生徒であり、何とか卒業させてやりたいと思っているのです。」と。

その後、先生から詳しい事情を聞きました。そして、一年で一番寒い二月、二人の生徒、担任の先生、 教科の先生方も参加しての一週間の朝の修行?が始まりました。

朝六時に座禅。勤行(お経のおつとめ)、清掃(本堂・広間の畳み拭き、廊下など)、 御霊前作り(仏様に供えるお茶、お膳など)といったような、お寺の毎日の一つ一つの 仕事をみんなで一週間続けたのです。

その中で、私は二人に一番簡単な仏さまの教えを話した。

「悪いことをせず、善いことをして、自分の心がきれいになる行いをすること。これが仏さまの教えの 根本です。当たり前のことと思うかもしれません。でも、これから社会に出ようとする二人には、 特にこのことを心の指針(羅針盤)として、しっかり胸に刻んで欲しい。」と。

それから二人は、学校の廊下やトイレ、部室等。さらには駅のホーム、老人施設等を毎日一生懸命 掃除したと聞かされました。

三月末、級友たちが見守る中、二人だけの卒業式が教室で行われました。(千明)


和尚の仕事(お婆さんとの勤行)

毎朝、六時十分ごろ、寺の近くのお婆さんが、(もう八十一才になるそうです)朝の勤行に お参り下さいます。お婆さんは、今年の春先、風邪を引いて、二ヶ月以上もなかなか直らず、 夜中には目が覚め、動悸がして、それはそれは大変だったそうです。

そのお婆さんの夢枕に、この私の”衣すがた”が現われ、お家の方に話すと「お婆さんお寺に行って、 拝んでもらえば、きっと直るかもしれない。」と言われ、早速、お嫁さんに連れられて、お寺に お参りになりました。

『お経』が終わると、お婆さんは「大した気持ちが良い。やっと安心しました・・・。」と たいそう喜んで下さいました・・・。

「お婆さん、お寺は、毎朝、御本尊様や、皆さんの御先祖様のお勤行があるから、明日から来てみませんか・・・。 それと、何にも気を使わなくて良いですから、そのままできて下さい。寺の住職としてのおつとめ仕事 ですから。」
「それはそれは、有り難いことで、申し訳ありません。是非、お参りさせて下さい。」

ということで、お婆さんとわたくしの朝のお勤行がもう三ヶ月程続いております。今ではお婆さん、 すっかり元気になられて、お家の周りの菜園で野菜の手入れも出来るようになったと喜んでいます。
「お婆さん、お元気になりましたね。仏さまに助けられ自分自身の力で直ったのですヨ。明日もまた 元気で来て下さいヨ・・・・。」
「御陰様でこのように元気になりました。これは私が作った野菜です。仏様にあげて下さい。毎朝、 仏さまを拝むようになってから、その日、一日、安心して過ごすことができます。本当に有難うございました。 また明日も宜しくお願いします・・・。」

この頃は、お婆さんのお友達も一緒にお参りするようになりました。(千明)


ガバナー補佐の補佐

一昨年、種市ロータリークラブ40周年をお蔭様で無事円成し、今後、しばらくは何も無いな、 と安心していた所、今回のガバナー補佐の件、まさに、一難去ってまた一難(失礼)であります・・・・

「和尚さん、今回ぜひ引き受けてください。次にガバナー補佐の話が来ましたら自分達は逃げません。 遠くへ行く時は運転手をしますし、できることは-補佐-しますから・・・」と。

いつの日か次に補佐の話が来た時は、我がクラブには既に立派な人材がいるという事を、此処に胸を張って お知らせする次第です。

私自身は不勉強で恥ずかしい限りではありますが、皆様のご協力を頂戴して1年間自分なりに 精進したいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。(第一区ガバナー補佐 千明)


和尚さんになった音楽の先生

・・・今に通じるあたりまえのこと・・・・

「おーい、東井君、久しぶり。」東京のある駅で和尚さんに声をかけられた。 「S先生ですか?どうしたんですか?その格好は」 「話は、後でゆっくりとご飯食べながら、私の部屋へ行こう・・・。」

何年かぶりでお会いした中学生の時の音楽のS先生は、定年後、東京で和尚さんになった!!。 お話によると実は、先生は初めから、和尚さんになりたかったというのであるが、その時分は、 ”和尚さん”だけでは生活ができないために「先生」になったそうである。

30年前、このS先生の授業の中での教えが、「ああ、このことだったんだなあ」と今、 自分自身が父親になり、身にしみて思い出される今日この頃である。

S先生曰く、「日常生活をきちんとすることが学力を作るもとになり、学力を伸ばすことになる。」 「勉強ばかりやっても学力向上にはならない」また「生活が乱れると歌声に濁りが出てくる。 澄んだ声、大きな声で力一杯歌うために日常生活をきちんと整えることが大事」というものであった。

クラスでは、そのために、5,6人の班で、夏休みの”一日の計画”のようなものを常に作り、 自分に合った無理のない一週間の生活時間割を作るのである。

そして、班内でお互いに確認し合い、一人ひとりに合った生活習慣を身につけるというものであった。 たとえば、見たいテレビ番組があるときは見ても良く、遊び時間は遊ぶことが大事であり、 部活は部活、勉強時間は勉強というように・・・。

しかし、「自由時間」という設定は叱られた。何をしても良い時間が自由時間ではなく、 その時間に何をしたいのか?遊びたいのであれば、遊び時間と明記しなければならないのである。 (自由時間に勉強する人はいない・・・)

今、思えば、「あたりまえのこと」を「あたりまえにすること」を教えていただいたのだなあ、 と思い出される。

良い生活習慣は、良い生活のリズムを刻み、子ども達にも、大人にとってもとても大事なことである。 仏教の「禅」の教えも全く同様。ご飯を食べる時は、ご飯を食べることに集中し、遊ぶ時は、遊ぶことに集中する。

また、掃除する時は、掃除することに一生懸命になり、また、勉強時間は勉強に一生懸命に なることである。・・・あたりまえのことである。

それは、今も昔も変わらない。

私の中学生の頃の話をするが、「フーン」と返事?をする二人の中学生がいる・・・。(千明)


供養

これから、みなさまといっしょに100万辺の念仏の数珠回しうぃ行いたいと思います。

時間は、40分少々かかりますが、みなさま、どうぞ、ほとけさまの最後の夜でございますので、心を込めてお唱えくださいますようお願い申し上げます。この100万辺とは、仏様のお名前を何回も何回も繰り返しお唱えする念仏です。

念仏とは、ただ、ぶつぶつと仏様のお名前をお唱えするのではなく、亡くなられたほとけさまのことを忘れることがないように、練習することです。

<念>とは記憶する、決してわすれないこと。いつも心に堅く留めておくこと、という意味であります。

仏様のお名前をただお唱えすることではありません。

わたしたちは、頭でわかったつもりでも、すぐに忘れてしまいます。そこで、野球の練習や、バレーの練習のように、体に覚えさせるわけです。

念仏も口を使い、手で数珠を回し、体全体を使い、体で覚えるわけでございます。

何回も何回も、繰り返し、体に覚えさせるのです。

心の中、体の中に、ほとけさまをしっかりと記憶できましたら、私たちは、いつもほとけさまといっしょであります。心のなかに、仏様がいます。

ふだんの生活で、わたしたちは、良いことも、悪いこともいたします。良いことをするときは、ほとけさまは、私たちを応援してくれます。私たちが悪い方へすすむ時は、ほとけさまは、ブレーキをかけてくださいます。

このように、防非止悪といいまして、非を防ぎ悪を止める働きが、念仏にはあるのです。

念仏をすることで仏様と一つになり、日常生活においで知らず知らずの間に仏様が、我々を守って下さいます。

どうぞ、みなさま、心を込めてお唱えしてくださいますようお願いいたします。


供養の形

霊前と香華を先師(ほとけ)に備え終えひとり読経す祥月の朝

霊前と香華を先師(ほとけ)に備え終えひとり読経す祥月の朝

これは、ある若いお坊さんが、ご自分のお師匠さまがお亡くなりになり、祥月命日の朝にお詠みした短歌でございます。

霊前とは、お亡くなりになりましたお師匠さまのために、心を込めてお作りした精進料理のお膳でしょう。そして、お線香やお花お灯明をきれいに飾り、お一人で心静かに祥月命日の朝、ご供養のお経をお唱え申し上げたという短歌で、その真心のこもったご供養の様子が目に浮かびますね。

お線香を中心に、仏様にむかって右にローソク、左にお花、これを三具足といいます。または、お線香を中心に、内側にローソク一対、その外側にお花一対、これを五具足と言いまして、お飾りいたしますときの基本であります。

「具足」とは、全てそろいましたという意味です。先行・ローソク・お花をきれいにお飾りする供養の形です。

皆様は、仏様を供養すると言いますと何か大げさな特別な事をお考えではありませんか。

例えば、大勢の方々にご案内し、立派なお膳を用意し、盛大に御法事をすることなど。

ところが、お家のひとは、お客様のお世話にてんてこ舞いし、故人を偲ぶ余裕などございません。「盛大なご法事」も努めなければならない時もございましょう。

しかし、仏様にとりましては、毎日、私達が、生活の中で心を込めて仏様を思うこと。

御仏壇をきれいに整え、心静かに手を合わせることがうれしいことなのです。

私達が、一日一日を精一杯に大切に生きることが、一番の供養になるということを忘れてはいませんか。


子供五観の偈

皆さまは、ごはんをいただく時の「五観の偈」をご存知でしょうか?

方丈様が、御法事や御葬儀が終わり、お膳をいただく前にお唱えするお言葉です。

一つには、功の多少を計り、かの来処を測る。

二つには、それが徳行の全欠と計って供に応ず・・・。という意味です。

その意味は、「今、用意された食事は、大事に育てられたお米や野菜、 色々な多くの人々の苦労や手を経て、そして、心を込めて作られたお料理だということをよく考えていただきなさい。 また、自らの行いを考えるとき、果たして食事を頂戴できるにふさわしい行いをしているのか? 今一度振り返りなさい。」という意味です。

私たちが青年会で作った新聞には、子供にもわかるよう

1.おいしさをつくってくれてありがとう。

2.ふり返ろう私のおこないその心

3.言わないやめよう好き嫌い

4.身をつくり心をつくるよき薬

5.いたいだきます今を大事に生きるため

というやさしい表現に紹介されました。私の家にも二人の子供がおります。早速子供を前にやりました。ところが、その時、私自身もう恥ずかしい思いにかられ途中で挫折してしまいました。

「子供向けの五観の偈」は子供が聞いてすぐわかるように工夫されたものです。

しかし、大人にとってはあまりにもストレートであり、一つ一つの言葉を考える時、子供に教えようとしたわたくし自身、自分のことをよく反省しなければならない事が随分あることに気が付いたのです。

皆さまは如何でしょうか。


朝、仏様にお茶を

霊前と香華をほとけに供え終え一人読経す祥月の朝

これは、仏さまの命日の朝に、お膳と線香、ローソク、お花をお供えし、心静かに一人お経をお唱えしたことを詠んだものです。

しかし、毎朝の忙しい時間にこれもできないという方もおられるでしょう。そこで、皆様が毎日、簡単に出来ることを御紹介します。それは、朝のお出かけ前に、仏壇の仏さまにお茶をお上げすることです。そして、あなたも一服お茶をいただきましょう。

「朝茶は七里帰っても飲め」と言うことわざがあります。朝茶を飲めばその日の難をのがれるというものです。これを現代風に解釈すれば、「朝お茶を飲んで新たに気持ちを切り替えてから、安全運転で仕事に出掛けましょう。」ということです。仏さまへお茶をお上げして供養し、そして自分もお茶をいただく・・・。

仏さまにお出かけの御挨拶をして、今日も一日元気に頑張ります、よろしくお守り下さい。ということですね。

御檀家さんで、毎朝、実行されている方がいます。「是をしないとどうも落ち着かない」と話していました。

どなたでも出来る簡単なことです。皆様もどうぞ実行してみてください。

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